木の力
最近例の400年桜で器を挽いています。
そしてその木で器を挽く時に感じることがあります。
それは木が持つ力というものです。この400年サクラはかなり硬いですが そのわりに挽き肌がとても綺麗で味があるのです。 今回はその木の枝別れつまりまたの部分を器の材料に取ります。
通常ですとこういった部分は挽く時に難があっていわゆる気難しいものではあります。 なぜなら木の目の方向性がバラバラで時にはポロっと必要以上にめくれてへこんだり フックがある一箇所だけかたかったりしてとても手ごわく、かなり消耗して 手がくたびれます。(手がくたびれるとは 挽いているときには フックを持つ右手も左手もかなり力を入れて挽き寄せたり少し回転させたりするのです。これは機械旋盤のような物の場合にはあり得ないことで つまりストロークで脚の一踏みの時にその一踏みに合わせて手をうごかしているのです。)
しかし そんな状況にも関わらず木の持つ魅力は挽くごとに増して行き 飽きる事がありません。
どんどん気持ちが乗って 前のめりになります。
そして完成した器は思い通りあるいはそれ以上に魅力を発揮します。見ているだけで またそばに置いておくだけでとてもいい気分になります。
さて 先日別の桜が手に入りさっそく器を試してみました。まだ若い桜で 年輪のピッチが1cm以上あるもので”これは柔らかそうでいいうつわになろうか?!”と期待して挽き始めましたが 予想に反して これが 面白くないんです。つまらないんです。 ”なんでしょう!”というくらいつまんない。
そんな途中経過を経て出来上がった器ですから おもしろい器になるわけはないんですね。 はっきり言ってつまらない器になりました。
訳分からないですよね。
”これは挽きやすそうだな!”と思ったものが挽いていてつまらず 出来上がったものが詰まらず、 反対にまたのいかにも挽きにくそうで 実際に 硬くて大変な苦労をした器が魅力的って。
その時に思ったのが”木に力があるんだ!”です。
とかく私達は木のような有機物さえもプラスチックの用に無機質な均一なものとして見てしまう習慣を身につけていますが そうではないのかな、という事なんですかね。
こうして出来上がった400年器、 毎日眺めて喜んでいます。 これも木に力があっての事。力があるものを見るのは 心が勇気づけられるからですね。人は 美しいもの、力あるもの、心休まるものを求め、醜いもの 意をくじくものを遠ざけるものです。
400年 古又力器
こんな感じに 複雑な木目が出ます。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント